ソーシャルメディアと時代となんとかかんとか

こないだ肺炎になり、3週間ほど伏せるハメになったあとから、TwitterやFacebookを見る/見ようとする頻度が圧倒的に減りました。
むしろFacebookに至ってはほぼ見なくなりました。
セルフブランディング会場眺めるとかそういうキモい趣味ないし、もうどうでもいい。
もともとどうでも良かったので、しきい値の下にいっちゃった。

SNSに飽きたと言うよりは強迫観念が薄れたという気がしています。
見ないとついていけなくなるみたいなやつね。
実際ついていけてないし「あーじりじりとこうやって遅れるのかもしれぬ」感はあるんですが、さりとて慌てふためいて追いかけるかというと左にあらず、いやあ、どうしたものですかこれは、なんて言いながら過ごしている次第でございます。

TLを眺めるでしょ、どれもこれも遠い国の出来事に見えるんですよ。
なんでこの人達は、こんなことをいちいち文字にして表明しているのかなーみたいな。無論少し前の自分もそうだったわけですし、中には文字にする意味のありそうな人もいるんですけど、頭でふっと思えばいいだけのことをなぜ文字にして検索エンジンにかかるように残すのか。そんなに揮発させたくないものなのか。

ついていけなくなるというのはなあに?
何についていけてると何がはかどり、ついていけてないとどう不都合が?
ぼんやりとただ、
「流れは速いから」
「ついていかないと」
って言ってるだけってところがあるのではないか。
で、逆に、
「君はそのままでいいよ」
がいいとか、そういう話ではない。
むしろ、この言説は害悪の最たるものであるとは思っています。麻薬ですよ。常習性依存性やばい。この言葉に捕まった知人はみんな腐臭を放つようになった。
#あたしはそうなった人々と距離をおいたのでその後は知らない。

アクセルべた踏みか全く踏まないか、極端すぎる。
なんでみんなと同じスピードで流れる必要があるのか。
そもそもそれは必要なのか。
自分はどんなスピードで走るべきなのか。
走りだしたあとで止まるのが怖いから走っているのではないか。
そもそも走るとか流れるという表現が幻想だったりしないか。

という独り言なう。

#ネットラジオとかブログとかやっててよく言うよとは言われそうですけど、もともとpullもpushも好きでない、放っといてほしい人間であるのは確かなんですね個人的なアレで恐縮ですが。
あれは反動形成みたいなものです。

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